偽日記(5)2018年7月11日(水) 暑さが和らぐサンバと古代インド

2018年7月11日(水)

 晴れ。猛烈な暑さ。

少し遠方の顧客を車で回る。道中で聴いたブラジルのサンバ歌手Paulinho da Viola=パウリーニョ・ダ・ヴィオラの『Perder e ganhar』という曲がすごくよかった。ソフトで包容力があるがウェットではない稀有な声の持ち主で、うんざりするくらいの暑さが少し和らいだ。職場に戻ってからメールで資料を送っていたお客さんからの注文を処理して早めに帰宅。


Perder e ganhar - Paulinho da Viola

 バーフバリを観てからインドの歴史に興味が出てきて、このところ山崎元一著『古代インドの文明と社会』(中公文庫の世界の歴史3)を読んでいるのだが、仏教の記述がかなり多いように感じる。しかしながら現在のインド社会の中で仏教はマイナーな存在なわけで、仏教の影響が大きい日本人の書いた本だから記述が多いのか、実際インドの歴史の中でも特筆すべきことなのかがいまいち掴めずにいる。まあ、その辺は別の文献も読んで調べるとして、面白い記述があったので書き写しておく。

 ブッタは在家の信者に向かって、慈愛の心を常にもち、宗教的・道徳的に正しい生活を送るよう説いた。また、食物や衣類を布施して出家者の生活を守ることが在家信者のつとめとされ、そうした布施の功徳の大きさが強調された。布施を意味する語はダーナで、施主はダーナ・パティと呼ばれた。我が国の「旦那」や「檀家」は、このダーナ・[・パティ]に由来する。もともと敬虔な信者を意味する仏教語であったが、俗化して、財物を与えてくれる「ご主人さま」を旦那と呼ぶようになった。

山崎元一著『古代インドの文明と社会』(中公文庫の世界の歴史3)p.145.146

※下線はhemoyanによるもの。

 インド語源の仏教用語が日本語の中に入り込んでいる一例。他にもヴェーダの祭祀の中心である火に供物を捧げる儀式「ホーマ」が真言密教の「護摩」になったと。こうしてみると結構身の回りの言葉、風習でインド原産のものって多いのかもしれない。